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JOURNAL

2021.10.03

乙黒えりさんの強さをつくった、海外生活での“ビター”な経験。

「キャラメライフ」のプロダクトをこよなく愛する憧れの人にインタビューする当連載。第21回目である今回からは、モデルの乙黒えりさんにお話を伺っていく。素敵なライフスタイルを発信する彼女のしなやかなスタンスを形成した、人生における“ビター”な時期とは?

──モデルを中心に女優やタレント業を務め、SNSでは2人の娘さんのママとしてのほほえましいひとときをシェアするなどして支持を集めている乙黒さん。“ビター”だったなと思う瞬間は、これまでにあったでしょうか?

 

乙黒:20代前半の頃に8カ月ほど上海に留学していたんですが、そのときがいちばんつらかったですね。大学時代に日本でモデルの仕事を始め、上海では中国語の勉強をしながら、現地での芸能活動をさせてもらっていました。

 

ことばも文化も日本とまったく違うので、毎日がカルチャーショックの連続で。当時は学生時代の貯金しかなかったので、リーズナブルな部屋に香港人の友人とルームシェア。まだ中国があまり発展していなかったのもあって、ゴキブリは出るし水道の水が茶色かったことも……。ことばが拙いからといって、タクシーの運転手さんにものすごい剣幕で怒鳴られたこともあります。滞在中は何度も泣きそうになりました。

乙黒えりさんの強さをつくった、海外生活での“ビター”な経験。|CARAMELIFE

──こんなに可憐な女性に怒鳴るだなんて……! 中国でもお仕事をされていたということですが、日本の現場と大きく違うのはどんなことでしたか?

 

乙黒:私がいた頃は、撮影などの詳細が直前までなかなか決まらないことが多くて。当日になって行ってみてからいろいろ変更されるので、拘束時間がまったく読めなかったですね。求められる表現にしても、臨機応変に変えていかなくてはなりませんでした。

 

始めのうちは当然慣れなくて、本当に“ビター”な毎日。両親は、電話しても「みんな大変な思いをしているんだから頑張りなさい」と、スパルタモードで(笑)。留学をきっかけに、潰瘍性胃腸炎を患いましたね。

乙黒えりさんの強さをつくった、海外生活での“ビター”な経験。|CARAMELIFE

──それは壮絶な……。困難な状況を、どのようにして乗り越えられたのでしょう。

 

乙黒:やはり、現地でできた友人との人間関係に助けられたところが大きかったです。友達の親切心に助けられながらちょっとずつ慣れていくと、だんだん好きだと思える仕事がもらえるようになっていきましたね。

 

つねに何かしら学びたいと思うほうなので、フットワークを軽く保って、どこにでも行ってみるようにはしていました。上海滞在中は、語学学校とともにアクション教室に通って、カンフーを習ったりもしていたんですよ。

乙黒えりさんの強さをつくった、海外生活での“ビター”な経験。|CARAMELIFE

──なんと、かっこよすぎます……! 最近学んでいることや、これから学びたいことはありますか?

 

乙黒:最近は、腸活アドバイザーとしての勉強が日課に。先ほど留学をきっかけに患ったとお話しした胃腸炎が、実は10年も続いていたのですが、腸活の勉強を始めてから治ったんです!

 

私は、資格を取ることを学びの“入口”だと考えているので、合格して終わりではなく、今でも新しい論文を読むなどして学びを重ねています。腸活に目覚めるきっかけとなった「KINS」というブランドのお仕事もさせていただいているので、サプリメントをどう飲むのが腸やその中の常在菌によいのか、日常的に考えているんですよ。

 

これから新たに学ぶとしたら、何か運動をしたいですね。カンフー……は激しい動きが多いので、歳を重ねても夫婦で楽しめそうな、ゴルフなどがよさそうです(笑)。

 

──たしかに本来なら資格を取ったあとこそ、本格的に学びを深めていくべきですよね。勤勉に吸収しつづける乙黒さんの姿勢こそが、留学のつらい時期を乗り越えられた強さの秘訣なのでしょうね。

 

次回は、乙黒さんの“スイート”なひとときについてお伺いしていきます。

乙黒えりさんの強さをつくった、海外生活での“ビター”な経験。|CARAMELIFE

乙黒えり
『Mart』専属モデル。タイ・バンコク生まれの横浜育ちで、イギリスとタイ、日本にルーツを持つ。現在はモデル業の傍ら、腸活アドバイザーとして「KINS」のサイトの記事投稿なども行う。夫はピアニストの清塚信也氏で、2人の女の子のママ。

 

Edit: Satoshi Nakamoto
Photos & Video: Kazumasa Kawasaki
Text & Interview: Misaki Yamashita